2012/05/31

Nike 21 Mercer NYC, May 2012


21 Mercer threw off all disguise
Mark Parker attended NSW SOHO Opening Day.
2008年8月21日深夜、ソーホーのマーサストリートでカウントダウンが始まった。昼間でも人通りのほとんどないマーサストリートは、この夜だけは通りを埋め尽くした人で溢れた。22日午前零時、ナイキ初のスポーツウエアブティック「Nike Sportswear」(NSW)はカウントダウン終了と同時にオープンした。
この夜のオープニングに参加したメンバーで、NSWがナイキの新しい顔、もう一つのナイキの出発だったことに気付いた人はほとんどいなかった。NSWはいわばナイキのセレクトショップだった。2006年に社長就任したマーク・パーカーの、デザイン・フィロソフィーとマーケティングのハブステーションだった。ここからナイキの新しい時代が始まったのである。

Store to design and Customize
Nike Sportswear, 21 Mercer, New york City.
NSWはカスタマイズ専門のスポーツウエアとシューズ発売拠点としてスタートした。オープニングには当時のナイキ最先端テクノロジーとニューモデルが勢揃いした。オープンに合わせて開発された最新ランニングモデル「Luna Racer」、それに同店用の限定バージョンとして「Air Max 90 Flywire」「Air Rejuven8」「Dunk Hi」も登場した。
NSWはナイキが全世界に8店舗しか展開しなかった。日本のNSWも含めて、世界のグローバル都市に出店された7店はお世辞にも成功したとは言えない。しかしニョーヨークのNSWはほとんどのナイキ・クイックストライク(限定モデル)を、マーサストリートから世界に向かって発信するネットワークハブになった。ネットワーク時代には、NSWのようなハブストアは世界で1店あれば充分なことを示したのである。

NSW revitalized So SOHO
Nike Sportswear, 21 Mercer, New york City.
「21 Mercer」のオープンは、9.11後の8年間、ニューヨーク最先端から取り残されていたソーホーが再びマンハッタンの第一線に復帰した夜にもなった。NSWオープンをきっかけにして、サウスソーホーには最新のブティックが出店するようになった。NSWはナイキの新時代の幕を切って落とすとともに、セントラルソーホーに代わる新ショッピングゾーン「South SOHO」ブーム火付け役にもなったのである。

2012/05/07

Nike Financial Result Fiscal 2012


9 month result
Mark Parker Nike Olympic Innovation Summit.
 ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長兼CEO)の2012年5月期9カ月業績(2011.6〜2012.2)が発表された。5月決算の発表は6月27日頃の予定なので、それまでまだ1カ月はある。そこで年間業績予測も兼ねてナイキの9カ月業績をお知らせします。
第1〜3四半期連結売上高は176億5,800万ドル(前期比17%増)、純利益16億7,400万ドル(同9%増)となった。ブランド別売上はナイキ154億7,600万ドル(同17%増)、その他のブランド21億9,900万ドル(同9%増)である。
日本市場売上高は5億8,900万ドル(為替調整後:前期比-2%)で、フットウエアは3億1,000万ドル(同1%増)、アパレル2億3,100万ドル(同-5%)、イキップメント4,800万ドル(同-8%)だった。ナイキジャパンの不振はようやく下げ止まって来たようだが、まだまだ反転上昇という可能性は低い。
ナイキは世界戦略の主要目標の一つに、傘下ブランドの育成強化をあげて来たが、傘下のコンバース、コールハン、ハーリー、アンブロ合計売上伸び9%増に対して、ナイキブランドは17%増で、ナイキへの一極集中は依然進んでいる。粗利益率は43.6%(前期46.1%)で、収益性は前期に続いて低下傾向にある。

2012/02/27

Nike Foamposite Galaxy


The Shoes cause Rioting at a Florida Mall
Nike Foamposite Galaxy, limited.
 ナイキが2月24日に発売した限定モデル販売でまたも客の暴徒化が発生した。今回はフロリダ州オーランドで発売した「フォームポジト」のNBA All Star Model購入客が暴徒化した。1カ月前の2011年12月23日にも、「Jordan 11 Retro」限定モデル発売で、購入できなかった客が暴徒化した事件が起きている。
ナイキレトロモデル購入客の暴徒化は、日本でもときどき報道されるが、人気モデルの取り付け騒ぎとして報道されるのが普通である。いっぽう米国メディアはスニーカーヘッズ(日本のオタクです)が起こした無分別な行動と片付けているところが多いが、実際はそれほど単純なことではない。この問題はヒットモデルの供給不足や、購入客のモラル低下が原因になっているのではなく、もっと重要な市場変化が背景にある。
Sneaker Riot, Florida Mall, Orland, Florida,
ナイキ新発売モデル購入客の暴徒化は、00年代には全米レベルで再三にわたって発生した。しかし現在起こっている暴徒化は10年前とは決定的に違う、局部的・瞬間的な「フラッシュモブ現象」である。当事者のナイキさえもこの点を正確に理解しているとは思えない。日本のブランドメーカーに至っては、これだけ重要な問題を、聞いたことも無いという人たちが大半である。そこで、我々のブログ「Action Sports Style」で、現代のプロモーションとセールスのキーファクターになっている「フラッシュモブ現象」として、ナイキ・フォームポジト限定モデル販売動向を分析した。いったいこのことがどういう意味を持っているのか、またどう理解すれば良いのかを考えましょう。

2012/01/20

Nike Air Jordan 11 Retro


People fights about Jordan Retro
Air Jordan Basketball Shoe 11, Retro.
 ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長兼CEO)が12月23日に発売した「Jordan 11」レトロモデル購入で、またもやトラブルが発生した。日本のメディアでも報道されたのでご存知の方も多いと思う。良くあることなので我々のブログでは取り上げなかったが、多くの方から質問をいただいたので、我々の見解を掲載することにした。
ジョーダンレトロモデルは1996年に発売されたオリジナルの復刻モデルで、フットロッカー、チャンプス、一部のインナーシティストア、ナイキ直営店で発売された。価格は180ドルである。ナイキは販売効果を高めるために、ジョーダンの背番号にちなんだ12月23日午前0時に発売した。購入者は前日22日夜から列を作って待機していたが、販売がスムーズに進まなかった地区でトラブルが発生したのである。
トラブルは販売店頭で客同士のいざこざが発生し、警官が出動する騒ぎになったというのがほとんどである。中には逮捕の出た都市もあったが、死者は出なかった。多くの方からの質問では、」ジョーダンがブームになっているから奪い合いになったのかというニュアンスだったが、そういうことも全くない。

Ronie Fieg talk about Sneaker hysteria.

Ronnie Fieg, Shoe Designer, New York.
こういうトラブルは良くあることで、取り立てて珍しいことではない。ナイキはこの件に関して「ジョーダン11発売で暴力沙汰がおこったことを大変遺憾に思っています」とのステートメントを発表したが、ナイキが社会的な指弾を浴びるというほど深刻なことではない。むしろナイキにとってもっと深刻な問題は、ワールドキャンパスの「ジョー・パターノ」チャイルドデイケアセンターのほうだろう。こちらの方は、遺憾でございますで済むという問題ではない。
そこで、ジョーダンレトロ問題の本質を最も正確に言い当てていると思われるロニー・フィーグのインタビュー記事(ABCニュース)を引用して、皆さんの回答に代えさせて頂きます。
フィーグはニューヨーク在住のフットウエア・コラボレーターで、ナイキ、アシックス、セバゴなどとのコラボレーションを多数手がけている。特にインナーシティ消費者の評判が高いから、今回のトラブルのコメンテーターとしては最も適切だろう。
フィーグは「ジョーダンレトロで暴力沙汰が起こっても、特に驚くようなことじゃない。供給が購入者より少ない時はよく起こることだ。子供たちは並んでいたのにジョーダンを買えないということになれば我慢するということも知らないし、きちんと並んでいる順番に購入するという常識もわきまえていないから、喧嘩になってしまっただけだ。エアジョーダンは今回のようなヒステリックな問題を何度も起こして来た。いまさら驚くようなことじゃない。
それにしても、ジョーダンは本当に革命的なスニーカーだった。ゲームも変えたが、我々のスタイルも変えた。教会でもプロムでも、ストリートでもパーティでも履いてゆけるシューズだった。そういえば、ジョーダンは1996年の優勝時にはたしかブラック&レッドのエアジョーダンを履いていたなー。」だそうです!
ジョーダンレトロモデルは発売後数時間でeBayオークションに500ドルで出品された。ナイキのエアジョーダン年間売上高は10億ドルである。

2011/09/26

Nike Skateboard Style “ The Chosen” -3


Expansion for Nike SB skate shoe
Nike SB Blazer Sky Blue.
 ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長)はThe Chosenキャンペーンに合わせてスケートボードシューズの本格強化を推進中である。ダンク、ズーム、ブルーインに続いて、ブレイザーもSBモデルを発売した。同時にポール・ロドリゲスのエンドースモデル「P-Rod 5 2012 Spring」も発表した。アメリカのスケートボードシューブランドの不振を尻目に、ナイキはスケートボードシューズをさらに強化する。
ナイキは6月2日にアクションスポーツキャンペーン「The Chosen」を正式にスタートした。キャンペーンはナイキ自らがアクションスポーツの「Just Do It」だと説明するほどの本格キャンペーンである。スタートはビデオをフェイスブックにアップロードすることから始めた。ターゲットがトゥィーンズなので、ヴァーチャル空間からプロモーションをスタートしたのである。6月5日にはNBAファイナル第3戦でTVコマーシャルを放映した。これまでアクションスポーツの弱点になっていたアフリカンアメリカン消費者に訴求するためである。7月4日には全米の映画館でもプロモーションビデオを放映した。アクションスポーツはキッズ市場が重要なので、ファミリームービー観客を巻き込むのが目的だった。

From Extreme to Main Stream
SB Zoom Stefan Janoski.
 「The Chosen」キャンペーンのヤマ場は、8月初旬にハンチントンビーチで開催されたアクションスポーツイベント「Nike US Open of Surfing」だった。同大会はサーフィン業界最大イベントで、大会期間中には「6.0 BMX Pro」(Bicycle Motocross)やスケートボードイベントも開催された。ナイキはグループのコンバース、ハーリーとともにイベントをスポンサードした。大会はナイキグループ一色となって、アクションスポーツはナイキグループが買収してしまったかのように印象づけた。
イベントに合わせて、ナイキは保有しているアクションスポーツシューズの新モデルを一挙に発表した。ラインナップはポール・ロドリゲス「P-Rod 5」(2012 Spring)、ステファン・ジャノスキー(SB Zoom)、エリック・コストン(SB Dunk)などのエンドースモデル。またバスケットシューズのブレイザーで初のSBモデル(SB Blazer)を発表した。さらに2007年発売のSB Harborも新作を追加した。
アクションスポーツ市場は、次期ナイキ成長戦略の最重要カテゴリーである。今後10年間、ナイキは総力を挙げてアクションスポーツシューズ開発・販売に取り組む。2011年はそのスタートイヤーだった。

2011/09/24

The Nike Empire " The Chosen"-2


Nike Action Sports History 
The Chosen Campaign Poster.
 ナイキは過去2回、メガキャンペーンを敢行していずれも成功した。最初は1989年にワイデンケネディと組んだ「Just Do It」で、第2回目は1993年にCAAと組んで展開した「Emotional Nike」キャンペーンである。
「The Chosen」はナイキ史上3回目のメガキャンペーンだが、前2回に比較して最もアグレッシブで、空前の規模のメガキャンペーンである。資金、内容、手法のいずれをとっても、米国ブランドキャンペーン史上有数のメガキャンペーンだったことが明らかになった。これで成功しなかったら、ナイキのスケーボーボードシューズを買わなかった子供達がおかしいといわれかねないほどの本格キャンペーンだった。
ナイキ新戦略の波及で、日本のアクションスポーツ業界とビジネスマップは完璧に塗り替えられることになる。日本は「The Chosen」キャンペーン対象地域から除外されているからメディアも小売りチェーンも、さらにはナイキジャパンでさえも「The Chosen」の真の意図は理解されないまま進んでいる。日本の皆さんはナイキグローバルキャンペーンの持つ重要性と強烈な市場インパクトにもっと関心を払うべきである。

Latest Challenge for Action Sports
US Open 2011, Huntington Beach, California. 
 ナイキは今から15年前、1996年春のASRショーに初めてスケートボードシューズ3モデルを出展した。翌97年にはスノーボードも発表した。それから15年間、様々なトライアルを繰り返してきたが、アクションスポーツ市場で満足すべき結果を納めたことは一度も無い。2002年にハーリーを買収したが、ハーリーの業績は低迷続きで、ようやく最近になってリストラが終わったところである。コンバースも2003年に買収したが、いったいコンバースをどう育成するのかがクリアになったのは2009年になってからだった。
しかしナイキブランドはスケートボードストアの壁面を確実に占拠し始めた。まったく長い道のりだったが、新しい帝国建設がスタートした。マーク・パーカー(CEO)がアクティブスポーツスタイルに代わるオルタナティブスタイル開発に決断を下したのは間違いない。ターゲットはトゥィーンズである。ナイキの決断は正しい。今後10年間、ナイキはグローバル市場で再び安定成長軌道に乗り、新帝国版図を構築することになるだろう。

2011/07/30

Nike Financial Result Fiscal 2011


Mark Parker, President and CEO of Nike Inc.

ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長兼CEO)が2011年6月23日発表した2011年5月決算は連結売上高208億8,200万ドル(前期比9.7%増)、純利益21億3,300万ドル(同12%増)となった。2010年5月期は10年ぶりの減収だったが、当期は再び増収増益に回復した。売上高は初めて200億ドルを突破した。

Nike Fiscal 2011 Financial FResult

ナイキブランド売上は181億ドル(前期比10%増)で、全売上に占める構成費は86.7%である。ナイキ以外のブランド売上は27億4,700万ドル(前期比9%増)で、前年(構成比87%)から若干低下した。傘下ブランド成長でナイキへの一極集中を軽減したいところだが、十分な育成効果がでていない。
地域別売上は北米市場が75億7,800万ドル(前期比13%増)で、構成比は36.3%だった。海外売上は64%で、完全なグローバル企業である。アメリカに次ぐ売上構成(構成比18%)のEU市場は38億1,000万ドル(前期比2%減)となった。
日本市場(構成比3.7%)は売上高7億6,600万ドル(前期比13%減)で、売上額で1億1,600万ドル(93億5,000万円)*という減収になった。日本円換算で約100億円の減収で、2010年5月期も4,370万ドル(36億円)**の減収だったから、ちょっと常識では理解できないほどの業績不振である。ナイキジャパンのマーケティング戦略は根底から見直す必要がある。
いっぽう中国は20億6,000万ドル(前期比18%増)、新興地域(Emerging Market)は27億3,600万ドル(同24%増)と順調だった。この2つの新興地域ブロック売上高合計は48億ドル(前期比21.7%増)で、構成比は23%を占めるまでに成長した。
西ヨーロッパ、日本市場は低迷しているが、発展途上国では依然高成長している。いまやナイキスニーカーは発展途上国の成長プロダクトになってしまった。ナイキは今後、ファッション先進地域と発展途上地域、大都市都心部と地方都市といった、市場の二重構造に対応するブランド、デザイン、スタイル、カテゴリーのダブルスタンダードを打ち出す必要が出てきた。ナイキは巨大であるが、プロダクトのテイストは、一種類の好みの客にしか対応できないワンテイストのプロダクトなのである。