2011/09/26

Nike Skateboard Style “ The Chosen” -3


Expansion for Nike SB skate shoe
Nike SB Blazer Sky Blue.
 ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長)はThe Chosenキャンペーンに合わせてスケートボードシューズの本格強化を推進中である。ダンク、ズーム、ブルーインに続いて、ブレイザーもSBモデルを発売した。同時にポール・ロドリゲスのエンドースモデル「P-Rod 5 2012 Spring」も発表した。アメリカのスケートボードシューブランドの不振を尻目に、ナイキはスケートボードシューズをさらに強化する。
ナイキは62日にアクションスポーツキャンペーン「The Chosen」を正式にスタートした。キャンペーンはナイキ自らがアクションスポーツの「Just Do It」だと説明するほどの本格キャンペーンである。スタートはビデオをフェイスブックにアップロードすることから始めた。ターゲットがトゥィーンズなので、ヴァーチャル空間からプロモーションをスタートしたのである。65日にはNBAファイナル第3戦でTVコマーシャルを放映した。これまでアクションスポーツの弱点になっていたアフリカンアメリカン消費者に訴求するためである。74日には全米の映画館でもプロモーションビデオを放映した。アクションスポーツはキッズ市場が重要なので、ファミリームービー観客を巻き込むのが目的だった。

From Extreme to Main Stream
SB Zoom Stefan Janoski.
 The Chosen」キャンペーンのヤマ場は、8月初旬にハンチントンビーチで開催されたアクションスポーツイベント「Nike US Open of Surfing」だった。同大会はサーフィン業界最大イベントで、大会期間中には「6.0 BMX Pro」(Bicycle Motocross)やスケートボードイベントも開催された。ナイキはグループのコンバース、ハーリーとともにイベントをスポンサードした。大会はナイキグループ一色となって、アクションスポーツはナイキグループが買収してしまったかのように印象づけた。
イベントに合わせて、ナイキは保有しているアクションスポーツシューズの新モデルを一挙に発表した。ラインナップはポール・ロドリゲス「P-Rod 5」(2012 Spring)、ステファン・ジャノスキー(SB Zoom)、エリック・コストン(SB Dunk)などのエンドースモデル。またバスケットシューズのブレイザーで初のSBモデル(SB Blazer)を発表した。さらに2007年発売のSB Harborも新作を追加した。
アクションスポーツ市場は、次期ナイキ成長戦略の最重要カテゴリーである。今後10年間、ナイキは総力を挙げてアクションスポーツシューズ開発・販売に取り組む。2011年はそのスタートイヤーだった。

2011/09/24

The Nike Empire " The Chosen"-2


Nike Action Sports History 
The Chosen Campaign Poster.
 ナイキは過去2回、メガキャンペーンを敢行していずれも成功した。最初は1989年にワイデンケネディと組んだ「Just Do It」で、第2回目は1993年にCAAと組んで展開した「Emotional Nike」キャンペーンである。
The Chosen」はナイキ史上3回目のメガキャンペーンだが、前2回に比較して最もアグレッシブで、空前の規模のメガキャンペーンである。資金、内容、手法のいずれをとっても、米国ブランドキャンペーン史上有数のメガキャンペーンだったことが明らかになった。これで成功しなかったら、ナイキのスケーボーボードシューズを買わなかった子供達がおかしいといわれかねないほどの本格キャンペーンだった。
ナイキ新戦略の波及で、日本のアクションスポーツ業界とビジネスマップは完璧に塗り替えられることになる。日本は「The Chosen」キャンペーン対象地域から除外されているからメディアも小売りチェーンも、さらにはナイキジャパンでさえも「The Chosen」の真の意図は理解されないまま進んでいる。日本の皆さんはナイキグローバルキャンペーンの持つ重要性と強烈な市場インパクトにもっと関心を払うべきである。

Latest Challenge for Action Sports
US Open 2011, Huntington Beach, California. 
 ナイキは今から15年前、1996年春のASRショーに初めてスケートボードシューズ3モデルを出展した。翌97年にはスノーボードも発表した。それから15年間、様々なトライアルを繰り返してきたが、アクションスポーツ市場で満足すべき結果を納めたことは一度も無い。2002年にハーリーを買収したが、ハーリーの業績は低迷続きで、ようやく最近になってリストラが終わったところである。コンバースも2003年に買収したが、いったいコンバースをどう育成するのかがクリアになったのは2009年になってからだった。
しかしナイキブランドはスケートボードストアの壁面を確実に占拠し始めた。まったく長い道のりだったが、新しい帝国建設がスタートした。マーク・パーカー(CEO)がアクティブスポーツスタイルに代わるオルタナティブスタイル開発に決断を下したのは間違いない。ターゲットはトゥィーンズである。ナイキの決断は正しい。今後10年間、ナイキはグローバル市場で再び安定成長軌道に乗り、新帝国版図を構築することになるだろう。

2011/07/30

Nike Financial Result Fiscal 2011


Mark Parker, President and CEO of Nike Inc.

ナイキ(本社:オレゴン州ビーバートン、マーク・パーカー社長兼CEO)が2011623日発表した20115月決算は連結売上高2088,200万ドル(前期比9.7%増)、純利益213,300万ドル(同12%増)となった。20105月期は10年ぶりの減収だったが、当期は再び増収増益に回復した。売上高は初めて200億ドルを突破した。

Nike Fiscal 2011 Financial FResult

ナイキブランド売上は181億ドル(前期比10%増)で、全売上に占める構成費は86.7%である。ナイキ以外のブランド売上は274,700万ドル(前期比9%増)で、前年(構成比87%)から若干低下した。傘下ブランド成長でナイキへの一極集中を軽減したいところだが、十分な育成効果がでていない。
地域別売上は北米市場が757,800万ドル(前期比13%増)で、構成比は36.3%だった。海外売上は64%で、完全なグローバル企業である。アメリカに次ぐ売上構成(構成比18%)のEU市場は381,000万ドル(前期比2%減)となった。
日本市場(構成比3.7%)は売上高76,600万ドル(前期比13%減)で、売上額で11,600万ドル(935,000万円)*という減収になった。日本円換算で約100億円の減収で、20105月期も4,370万ドル(36億円)**の減収だったから、ちょっと常識では理解できないほどの業績不振である。ナイキジャパンのマーケティング戦略は根底から見直す必要がある。
いっぽう中国は206,000万ドル(前期比18%増)、新興地域(Emerging Market)は273,600万ドル(同24%増)と順調だった。この2つの新興地域ブロック売上高合計は48億ドル(前期比21.7%増)で、構成比は23%を占めるまでに成長した。
西ヨーロッパ、日本市場は低迷しているが、発展途上国では依然高成長している。いまやナイキスニーカーは発展途上国の成長プロダクトになってしまった。ナイキは今後、ファッション先進地域と発展途上地域、大都市都心部と地方都市といった、市場の二重構造に対応するブランド、デザイン、スタイル、カテゴリーのダブルスタンダードを打ち出す必要が出てきた。ナイキは巨大であるが、プロダクトのテイストは、一種類の好みの客にしか対応できないワンテイストのプロダクトなのである。